| ■ 本編 |
| 4分37秒 |
「みたち」のお渡りです |
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御館:領主。殿様。 |
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| 5分36秒 |
ここにいるのは、嫡男の泰衡 |
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泰衡は次男ですが、長男・国衡の母の身分が低かったため、家督を継ぎました。 |
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| 6分38秒 |
お形見の腰刀を舞いに? |
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×:腰刀を舞いに
○:腰刀を前に |
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| 7分35秒 |
藤原氏オールスター |
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藤原国衡
藤原忠衡
赤田次郎(あかだのじろう)
照井高道(てるいのたかみち)
佐藤庄司元治(さとうのしょうじもとはる)
田川太郎行文(たがわのたろうのぶゆき)
小島民部(こじまのみんぶ) |
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| 10分53秒 |
うつけ |
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空け:愚か者。ぼんやり者。まぬけ。 |
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| 13分21秒 |
鎮守府将軍職 |
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陸奥・出羽の鎮圧のために置かれた軍政官庁の長官。 |
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| 16分31秒 |
庶流じゃ |
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この時点で頼朝は、「頼朝=嫡流」、「義経=庶流」としっかり区別しています。
後に頼朝は、自らを絶対的なトップとし、義経以下は家来の中の一人に過ぎないと考え平氏と戦っていきます。義経との思想のズレの始まりといってもよいでしょう。 |
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| 24分15秒 |
この川は?そして船に乗ってどこまで行くの? |
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平泉の北を流れる衣川、南を流れる太田川。
川の流れの方向からして太田川か?
いずれの川も北上川に合流するので太平洋まで船で行けます。
ちなみにこの時期の北上川は、現在の旧北上川と考えられますので、
おそらく石巻付近まで船で行ったものと推測できます。 |
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| 24分26秒 |
承安二年(1172年) |
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義経14歳。 |
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| 26分16秒 |
「はくどうじ」を漢字で書くと? |
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白童子。 |
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| 28分35秒 |
名を「むりょうこういん」 |
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無量光院:藤原秀衡が、宇治平等院を模して平泉に建立した寺院。
現在は遺構が残っています。 |
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| 28分35秒 |
この場所は? |
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2人が話している場所は、金鶏山付近です。 |
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| 31分34秒 |
命を賭けて「あらがう」 |
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抗う:抵抗する。 |
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| 34分09秒 |
もののふの道 |
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武士(もののふ)として守らなければならない道。いわゆる武士道。 |
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| 34分27秒 |
安元元年(1175年) |
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義経17歳。 |
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| 35分46秒 |
いや、よくない! |
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この後、弁慶は理由を述べていますが、その背景には、女人禁制の比叡山で生まれ育ったがゆえ、自然と拒絶反応を示しているとも考えられます。 |
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| 37分42秒 |
唐天竺 |
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中国とインドのことですが、非常に遠い所のたとえとしても用います。 |
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