第10回 「父の面影」(3月13日放送)

■ あらすじ箇条書き
奥州平泉に到着した義経一行は、藤原秀衡らに迎えられる。
その夜、歓迎の宴席で酒を飲んだ義経はうたた寝をしてしまう。その様子を目にした秀衡の息子や側近たちは義経のことを悪し様に言う。
秀衡は義経がいかなる人物なのかを見極めようと考え、“取り次ぎ役”という名目で家臣の佐藤継信に義経たちの行動を見張らせることにする。
やがて、京にも“義経奥州入り”の知らせが届く。報告を受けた清盛は、侮れぬ勢力を持つ秀衡との対立を招くことの無いようにとの配慮もあり、『義経への対応に慎重を期すべし』と息子の重盛に命じる。
その翌年には、清盛の娘・徳子(中越典子)が入内し、天皇の中宮となったことで平家の権勢ますます強固なものとなっていく。
京に戻る前に挨拶に訪れた吉次から、義経が烏帽子親も無いまま尾張の地で元服を執り行った理由を聞いた秀衡は、義経という人物を見直す。
秀衡は義経に馬を贈り、自ら平泉の地を案内するようになる。
義経は、『この後は九郎殿をわが藤原家の子と思おう。都から九郎殿を差し出せと言われてもわが子を差し出すつもりは毛頭ない』と秀衡から思いもよらぬ言葉をかけられる。
京から義経を追って来たうつぼや、喜三太、弁慶、伊勢三郎、新たに家来になることを許された駿河次郎らとともに、義経は穏やかな暮らしを営む。
ところがそんなある日、秀衡の息子・泰衡が狩りの途中で行方不明になってしまう。懸命の捜索の甲斐も無く泰衡は見つからず、秀衡は断腸の思いで捜索を打ち切る。秀衡の苦渋を見て取った義経は、ひとり泰衡を捜して見知らぬ土地を行く。

■ 前枠
0分34秒 奥州藤原氏
藤原(清)衡:初代
藤原(基)衡:2代目
藤原(秀)衡:3代目
藤原(国)衡:秀衡の長男(長嶋一茂)
藤原(泰)衡:秀衡の次男(渡辺いっけい)
藤原(忠)衡:秀衡の三男(ユキリョウイチ)
1分03秒〜3分50秒 テーマ曲

■ 本編
4分37秒 「みたち」のお渡りです
御館:領主。殿様。
5分36秒 ここにいるのは、嫡男の泰衡
泰衡は次男ですが、長男・国衡の母の身分が低かったため、家督を継ぎました。
6分38秒 お形見の腰刀を舞いに?
×:腰刀を舞いに
○:腰刀を前に
7分35秒 藤原氏オールスター
藤原国衡
藤原忠衡
赤田次郎(あかだのじろう)
照井高道(てるいのたかみち)
佐藤庄司元治(さとうのしょうじもとはる)
田川太郎行文(たがわのたろうのぶゆき)
小島民部(こじまのみんぶ)
8分02秒 この舞は?
毛越寺延年の舞です。
10分53秒 うつけ
空け:愚か者。ぼんやり者。まぬけ。
13分21秒 鎮守府将軍職
陸奥・出羽の鎮圧のために置かれた軍政官庁の長官。
16分31秒 庶流じゃ
この時点で頼朝は、「頼朝=嫡流」、「義経=庶流」としっかり区別しています。
後に頼朝は、自らを絶対的なトップとし、義経以下は家来の中の一人に過ぎないと考え平氏と戦っていきます。義経との思想のズレの始まりといってもよいでしょう。
24分15秒 この川は?そして船に乗ってどこまで行くの?
平泉の北を流れる衣川、南を流れる太田川。
川の流れの方向からして太田川か?
いずれの川も北上川に合流するので太平洋まで船で行けます。
ちなみにこの時期の北上川は、現在の旧北上川と考えられますので、
おそらく石巻付近まで船で行ったものと推測できます。
24分26秒 承安二年(1172年)
義経14歳。
26分16秒 「はくどうじ」を漢字で書くと?
白童子。
28分35秒 名を「むりょうこういん」
無量光院:藤原秀衡が、宇治平等院を模して平泉に建立した寺院。
現在は遺構が残っています。
28分35秒 この場所は?
2人が話している場所は、金鶏山付近です。
31分34秒 命を賭けて「あらがう」
抗う:抵抗する。
34分09秒 もののふの道
武士(もののふ)として守らなければならない道。いわゆる武士道。
34分27秒 安元元年(1175年)
義経17歳。
35分46秒 いや、よくない!
この後、弁慶は理由を述べていますが、その背景には、女人禁制の比叡山で生まれ育ったがゆえ、自然と拒絶反応を示しているとも考えられます。
37分42秒 唐天竺
中国とインドのことですが、非常に遠い所のたとえとしても用います。

■ 後枠
義経紀行〜岩手県・平泉町〜

毛越寺への行き方

JR東北本線「平泉」より徒歩10分

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