第11回 「嵐の前夜」(3月20日放送)

■ あらすじ箇条書き
義経は、深い霧の中を行方不明になった藤原泰衡の姿を探し求めてひとり山奥に入り、無事、泰衡を助け出して平泉に連れ帰る。
義経は、秀衡から『なぜ自分の命令に背いて泰衡を助けに行ったのか』と問われるが、義経の返答を聞いた秀衡は、その洞察の深さや心根にいたく感じ入る。
人並み外れた度胸と知恵で泰衡を助け出した義経の武勇伝は、またたく間に平泉に広まり、豪族たちはこぞって義経へ嫁取りの話を申し込むが、義経はなぜかその申し出を断る。
ある日、義経のもとに佐藤継信の弟・忠信が訪れ、義経が結婚を断った女について『その女のどこが悪いのだ』と詰め寄った。
うつぼは、そんな義経を巡る周囲の変化 ― 義経の結婚話が持ち上がるなど ― を感じ取り、自分が傍にいると義経の迷惑になることをを悟り、義経のもとを離れて京に帰る決心をする。
その京では、平家が相変わらず栄華を極めながらも、その基盤に揺らぎが見え始めていた。
鹿ヶ谷で平氏討伐の密議が行われていたことが発覚。密告により反乱を事前に収めた清盛だったが、その密議に加わったとされる後白河法皇との関係は、それ以降、次第に微妙な距離を持ち始める。
時子は帝の子を身ごもった徳子を六波羅に迎えた。
後日、訪ねてきた後白河法皇に対し、一門の女たちが無事の出産を祈願して泥人形を作っている様子を見せる。後白河法皇も自ら泥人形作りに加わるが、その背中を射るような視線で見つめた。

■ 前枠
0分32秒 家礼
今の「家来」という字になったのは、鎌倉時代以降です。
1分00秒〜3分47秒 テーマ曲

■ 本編
4分28秒 降りるぞ、白童子
この経験が、後の一ノ谷の戦いで生かされるという伏線でしょう。
4分37秒 木の角度に注目
木が左に傾いています。
もしかすると斜面をきつく見せるため、カメラを少し右に傾けたのかもしれません。
11分11秒 北上川に近い「たかだち」
高館:中尊寺と平泉駅の中間にあります。
11分21秒 うつぼが、ここに移り住んだのは申すまでもございません。
申すまでもございませんと言われても、その理由がわかりません。
部屋がたくさんあるので男女隔離できるから、
吉次の屋敷から通うのには遠すぎるからといった理由でしょうか?
14分44秒 いがらめのしちろう
伊賀良目七郎:秀衡の重臣のひとり。
14分51秒 ごうたん
豪胆・剛胆:度胸がすわっていて、ものに動じないこと。肝が太いこと。
16分11秒 御館の「きんしん」
○:近臣
×:謹慎
19分17秒 「よるべ」のない身の上
寄る辺:頼みとして身を寄せるところや人
29分59秒 安元二年(1176年)
義経18歳。
30分12秒 法住寺殿
法住寺殿。後白河法皇の御所。1160年製。
33分33秒 その翌年
1177年。義経19歳。
33分35秒 平家に悪しきことが、、、
この年の正月、平重盛が左大将、宗盛が右大将になると、公家の不満が急速にふくれあがり、さらに4月には地震や大火などの天変地異が相次いで起こりました。
33分58秒 京・東山・鹿ヶ谷にある俊寛僧都の山荘において、、、
以下、一連の事件を鹿ヶ谷事件といいます。
後白河法皇の近臣、藤原成親、成経親子、平康頼、僧の西光、同じく僧の俊寛らが、東山・鹿ヶ谷にある俊寛僧都の山荘に集まり、平氏打倒の密議を行いました。しかし、この密議に誘われた摂津源氏の多田行綱が裏切り、清盛に密告したため発覚してしまいます。
37分34秒 独断で処罰を
西光を処刑、成親、成経、康頼、俊寛は流罪にしました。その後、重盛が処刑するなと主張していた成親も処刑されてしまいます。このとき、清盛は、後白河法皇がこの企てに関係していたことを知っていましたが、これ以上、事件を広げたくなかったこともあり、何の追求もしませんでした。しかし、清盛と後白河法皇との間の溝を深めることとなりました。
37分49秒 きかいがしま
鬼界島:現在の硫黄島。
成経、康頼はその後許され京都に戻りましたが、俊寛は許されずそのまま断食して命を絶ちました。
37分55秒 治承二年(1178年)
義経20歳。
38分31秒 おのこ
男児のこと。

■ 後枠
義経紀行〜福島・飯坂町〜

医王寺
福島交通飯坂線「医王寺」下車

大鳥城跡
福島交通飯坂線「飯坂温泉」下車

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