| ■ 本編 |
| 4分28秒 |
降りるぞ、白童子 |
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この経験が、後の一ノ谷の戦いで生かされるという伏線でしょう。 |
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| 4分37秒 |
木の角度に注目 |
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木が左に傾いています。
もしかすると斜面をきつく見せるため、カメラを少し右に傾けたのかもしれません。 |
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| 11分11秒 |
北上川に近い「たかだち」 |
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高館:中尊寺と平泉駅の中間にあります。 |
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| 11分21秒 |
うつぼが、ここに移り住んだのは申すまでもございません。 |
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申すまでもございませんと言われても、その理由がわかりません。
部屋がたくさんあるので男女隔離できるから、
吉次の屋敷から通うのには遠すぎるからといった理由でしょうか? |
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| 14分44秒 |
いがらめのしちろう |
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伊賀良目七郎:秀衡の重臣のひとり。 |
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| 14分51秒 |
ごうたん |
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豪胆・剛胆:度胸がすわっていて、ものに動じないこと。肝が太いこと。 |
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| 16分11秒 |
御館の「きんしん」 |
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○:近臣
×:謹慎 |
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| 19分17秒 |
「よるべ」のない身の上 |
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寄る辺:頼みとして身を寄せるところや人 |
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| 29分59秒 |
安元二年(1176年) |
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義経18歳。 |
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| 30分12秒 |
法住寺殿 |
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法住寺殿。後白河法皇の御所。1160年製。 |
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| 33分35秒 |
平家に悪しきことが、、、 |
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この年の正月、平重盛が左大将、宗盛が右大将になると、公家の不満が急速にふくれあがり、さらに4月には地震や大火などの天変地異が相次いで起こりました。 |
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| 33分58秒 |
京・東山・鹿ヶ谷にある俊寛僧都の山荘において、、、 |
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以下、一連の事件を鹿ヶ谷事件といいます。
後白河法皇の近臣、藤原成親、成経親子、平康頼、僧の西光、同じく僧の俊寛らが、東山・鹿ヶ谷にある俊寛僧都の山荘に集まり、平氏打倒の密議を行いました。しかし、この密議に誘われた摂津源氏の多田行綱が裏切り、清盛に密告したため発覚してしまいます。 |
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| 37分34秒 |
独断で処罰を |
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西光を処刑、成親、成経、康頼、俊寛は流罪にしました。その後、重盛が処刑するなと主張していた成親も処刑されてしまいます。このとき、清盛は、後白河法皇がこの企てに関係していたことを知っていましたが、これ以上、事件を広げたくなかったこともあり、何の追求もしませんでした。しかし、清盛と後白河法皇との間の溝を深めることとなりました。 |
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| 37分49秒 |
きかいがしま |
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鬼界島:現在の硫黄島。
成経、康頼はその後許され京都に戻りましたが、俊寛は許されずそのまま断食して命を絶ちました。 |
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| 37分55秒 |
治承二年(1178年) |
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義経20歳。 |
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