第15回 「兄と弟」(4月17日放送)

■ あらすじ箇条書き
奥州を後にした義経は、弁慶らを伴って兄・頼朝が陣を張る黄瀬川へ。そしてついに念願の対面を果たす。
微力ながらも戦陣に加わりたい、と望む義経が命ぜられたのは、平家方の陣を間近に望む富士川の見張り役。総大将・頼朝の弟が努めるのにはあまりにも軽い役目だった。不平を口にする三郎や次郎をいさめた義経は、自分たちにしかできない見張りの仕事をしてみせよう、と士気を鼓舞する。
義経らの様子を見にやって来た北条義時は、三郎たち郎党の優れた仕事ぶりと、義経の深い洞察力に感服する。義時から報告を受けた頼朝は、義経らに好感を抱く。
その夜、突然飛び立った水鳥の羽音を源氏方の総攻めと勘違いした平家軍は、恐れをなして我先に逃げ出してしまう。
そのさ中、騎馬を避けようとして倒れた一人の白拍子の姿を目にした義経は、三郎に命じてその白拍子を救い出させる。
戦わずして勝利を収めた頼朝は、和田義盛らの進言を聞き入れて常陸攻めを決断するが、義経には鎌倉行きが命じられる。
出立の仕度に取りかかろうとした義経は、三郎が助けた白拍子を間近に見て驚く。それは義経がまだ遮那王と名乗っていた頃、平家の者に追われていた義経の危地を救った静だった。「京へ帰る」とは言うものの、歩くこともままならぬ静の様子を見かねた義経は、静を伴って鎌倉へ向かう。
鎌倉に到着した義経は、頼朝の妻・政子と対面する。義経のことを“いなか者にすぎぬ”と、たかを括っていた政子だったが、義経の聡明さに圧倒される。
一方その頃、都では、戦わずして逃げ帰った維盛のふがいなさに、清盛が、“配流”という厳罰をも口にするほど激怒する。
新しい土地での暮らしに慣れ始めたある夜、義経は鎌倉に戻った頼朝から館に招かれ、初めて兄弟ふたりで語り合う。

■ 前枠
0分10秒 周辺の武士を見方につけて、、、
安房から北に進んだ頼朝は、次第に房総半島の武士たちを味方につけ、武蔵国(東京・埼玉)に入ったときは3万騎の大軍になっていました。
0分26秒 鶴岡八幡宮の移設、、、
鎌倉は、三方を山に、一方を海に囲まれ、敵の侵入を防ぎやすい自然の要塞となっていました。頼朝は鶴岡八幡宮を一族と幕府の守り神とし、その鶴岡八幡宮を中心に鎌倉の町をつくっていきました。
1分00秒〜3分47秒 テーマ曲

■ 本編
6分18秒 九郎義経に、、、
対面を果たした時期にはいくつか説があり、平治物語では、奥州に向かう途中に伊豆に立ち寄ったとされています。また、この後、場面は富士川の戦いに移りますが、吾妻鏡では、頼朝がその戦いで平氏を敗走させ、追撃せずに黄瀬川まで戻ってきた夜に対面を果たしたとされています。
6分26秒 九郎殿とやら、、、
これまでの内容の復習です。
7分48秒 義経様と頼朝様の初めてのご対面、、、
義経は、頼朝の前へ進み出て、お互いに過ぎし日のことなどを語り合い、喜びの涙にくれたとされていますが、カットされています。
8分51秒 我らが祖、八幡太郎義家公の奥州の陣へ、、、
後三年の役の際、苦境に立った源義家のもとに弟義光が京都から駆けつけ助けたという話です。
10分58秒 平泉から「ひえぬき」へ
稗貫:平泉の北、盛岡と花巻の間。現在の岩手県稗貫郡。
13分18秒 これは義時殿、、、
北条義時、北条時政(小林稔侍)の息子です。
13分25秒 はじめて「ぎょいをえもうす」
御意を得え申す:はじめましてということです。
17分03秒 武田勢が平家を「きゅうしゅう」します
○:急襲
×:吸収
武田勢とは、頼朝が同盟を結んだ甲斐源氏の武田信義の軍勢のことです。
17分12秒 水鳥が飛ぶ
このドラマでは、「義経が動いたから」みたいな演出になっていますが、本当は、武田勢が平氏勢の背後に回り込もうとしたところ富士沼にいた水鳥が驚いて飛び去ったとのことです。
18分01秒 静まれー!!!
平氏勢は、寄せ集めの武士が多かったため、軍の統制がきかない状況でした。また、当時の西日本はたいへんな凶作と飢饉に陥っており多くの餓死者がでるありさまで、兵士や兵糧を集め遠征することは容易ではなく、途中で略奪する者あり、脱落する者あり、寝返る者ありといった散々な状況でした。さらに京都に近い近江辺りにまで源氏に味方する武士も出没するありさまで、退路を断たれる恐れもありました。つまり、この段階で頼朝、武田の連合軍に立ち向かえる状況ではなかったのです。だから、水鳥の羽音ごときで逃げ出してしまったのです。
20分40秒 あなたは確か、、、
(TBSのH2に出演していたのでしばらく姿を見せなかった)静?
23分01秒 「おかたさま」
御方様:他人の妻を敬っていう語。
24分09秒 政子アフレコ
「(あっ、ジャニーズ顔)」
24分29秒 いや、あれじゃ
「(タッキー様に似ているなあって、いやいや)つまり九郎殿を、、、」
35分12秒 その別当に、、、
相模の武士である和田義盛を侍所の別当(長官)に任命しました。侍所は最初にできた幕府の政治機関です。
36分12秒 私はこのままでもよいぞ、、、
頼朝が鎌倉で着々と政権づくりを進める中で、義経は退屈な日々を過ごしていました。他の御家人が武士団を率いて頼朝のもとに馳せ参じ大きな貢献をしていたのに対し、なんの戦功もない義経は心細いものでした。これは、弟ということで特別扱いしてはこれまで自分のために働いてくれた御家人たちに示しがつかないという頼朝の配慮なのですが、「頼朝の弟」という自負が強かった義経にはそれを理解できず、心中穏やかではなかったはずです。しかし、ドラマではなんとも思っていないように描かれています。どうやらタッキー義経は頼朝の心中を察することができる「できた人物」のようです。だとしたら、いつの段階でどのように頼朝との間に思想のズレが生じていくのか、これからの放送が楽しみです。
37分33秒 山あり海あり、、、
現代の感覚では理解しがたい少々行き過ぎの「ゴマすりSHOW」が始まります。
38分24秒 22歳に、、、
ということは、頼朝は34歳です。

■ 後枠
義経紀行〜静岡・黄瀬川〜

対面石への行き方
JR東海道線「沼津」または「三島」からバスで「八幡」下車


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