第22回「宿命の上洛」(6月5日放送)

■ あらすじ箇条書き
義経は、鎌倉から京へ向う途中で、「北国で平家が敗走を続けている」との知らせを受ける。
その頃、倶利伽羅峠の戦で平家軍に圧勝した木曽義仲は、敗走する大将の平維盛らに執拗な追い打ちをかけていた。
都の様子を探るため、さらには義仲の真意(=都へ向うのか、鎌倉へ攻め入るつもりなのか)を探るため、義経は伊勢三郎を偵察に向かわせる。
そんなある日、維盛の母・経子が時子のもとを訪れ、借金を願い出る。経子は、「維盛が敗走中に手放して盗賊の手に渡った、平家の嫡流に代々伝わる鎧を買い戻したい」と話す。維盛は、己と家来の食料を手に入れるために、件(くだん)の鎧を手放したのだった。
そんななか、時子の前にお徳が現れ、罪のない人まで殺す平家の無謀な夜盗狩りを止めるのであれば鎧を取り戻そう、と話す。
朱雀の翁が盗賊どもに手を引かせ、鎧は無事に平家方に返される。
ところが、その鎧を前にした宗盛は意外なことを言い出し、時子たちを驚かせる。 
一方、偵察から戻った三郎の報告で、義仲の軍勢が都に向っていることを知った義経は、「鎌倉方の軍勢が都に迫っている」という噂を流させ、義仲に兵を引かせようとするが、義経の策は裏目に出てしまう。
一刻も早く都に入り、己が源氏の棟梁であることを世に知らしめんとする義仲は、大軍を率いて叡山にまで迫る。
冷静に戦況を判断した知盛は、宗盛に“都落ち”を提案する。
一旦西国に退いて兵力を整えて反撃に出ようと主張する知盛に対し、宗盛はあくまで都に固執しようとしたが、宗盛もそれ以上の妙案を出すことができず、都落ちを決定する。

■ 前枠
0分24秒 今井四郎兼平−樋口次郎兼光
父:中原兼遠
妹:巴
父の養子:義仲
0分39秒 乳兄弟
血縁はないが、同じ女性の乳で育てられた人どうし。

木曽義仲は、源義賢の子で母は遊女。父・義賢が、悪源太義平(あくげんたよしひら)によって滅ぼされたため、中原兼遠の養子に入りました。

ちなみに悪源太の悪は、悪代官の悪ではありません。この時代の「悪」は、性質・能力・行動などが、あまりにすぐれているのを恐れていう意を表します。
1分00秒〜3分47秒 テーマ曲

■ 本編
3分50秒 寿永二年
1183年、義経25歳。
11分15秒 「きんす」を
漢字で書くと「金子」。苗字みたいですが、意味は「お金」です。
11分32秒 米千石
米1石で1人の1年分。百万石の大名は100万人養えたとのことです。
11分40秒 日々の「たずき」
方便:生計。
12分11秒 里方の「ぞうしき」
雑色:院の御所・摂関家などで、雑務に従事した無位の役人。
17分05秒 「しさい」
子細:詳細。
18分35秒 「あらがう」もの、、、
あらがう:抵抗する。
18分52秒 も〜し〜、、、
清盛の時も思ったのですが、お徳はいつもどうやって屋敷に潜入しているのでしょうか?
見張りがいなかったのか、見張りを倒したのか、顔パスなのか、軽快に塀を飛び越えることができたのか?
26分51秒 戦の場にお出にならぬお方に、、、
驕れるものの負けパターン

・己の力を過信し、楽観的な作戦を指示する。

・圧倒的に戦力に差がある場合は、たまたま勝利する場合もあるが、
 思いのほか犠牲が多く、次第に戦力が減少、作戦の欠点が浮き彫りになってくる。

・ここで自分の失敗を認め改善すればよいのだが、
 そうすると、これまでの自分の判断に問題があったことを認めることになり、
 自分の立場が危うくなってしまうので、そのまま押し通すしか道がなくなっていく。

・現場からの意見や、現場の悲惨な状況の報告を受けても、
 「私が悪うございました」と簡単にそれを認めるわけにもいかず、
 次第に目をそむけるようになっていく。

・いつしか「自分の考えは間違っていない、失敗したのは部下が指示通り動かないからだ」
 という理不尽な理論を押し付け、周囲もその権力にものを言えず、
 以後、とんでもない戦略でも、まかり通るようになってしまう。

・そして、何の改善もせずに同じ作戦を指示し続けるので、
 当然、同じ失敗を何回も繰り返すようになる。

・指導者はわりと早い段階で、もはや勝ち目がないことを知ることになるが、
 ここでやめてしまえば自分に責任があるのは明らかなので、もはや後に引くことはできない。

・こうして本来は犠牲にならなくてもいい人まで犠牲にしながら抵抗し、
 組織が玉砕されてやっと終わる。


宗盛は、知盛や他の平家一門が異を唱えたのを受け、都落ちを決断しますが、時既に遅し。Xデーまでの期間は伸びたものの、結局、壇ノ浦の戦いで滅亡することとなります。もし、頼朝から和議の申し入れがあった時点でプライドを捨て従っていれば、倶利伽羅峠の戦で失った数万の兵の命は助かっていたかもしれません。

このシチュエーションは、後に太平洋戦争において日本の戦争指導者がポツダム宣言を拒否、その決断が、広島長崎の原爆投下へとつながっていった状況を連想させます。

戦後、こうした悲惨な出来事は、日本の指導者の弱い精神形態(失敗を認める勇気がない)にあると指摘する学者もいました。

しかし、こういった数々の歴史の教訓があるにもかかわらず、現代社会の一連の責任逃れや不祥事を隠しなどを見ていると、組織のトップには依然、その精神形態が根強く残っているような気がします。そして、それが原因で、今日もどこかで犠牲にならなくてもいい人が犠牲になっています。

私は、歴史を勉強する一番の目的は受験勉強のためではなく、
同じ失敗を繰り返さないためであると考えています。

もちろん受験を控えた学生さんにそんな余裕はないかもしれませんが、
受験勉強から開放された後は、そんな目的のために知識を再利用されてはいかがでしょうか?

32分01秒 「な〜に」
ここだけ聞けば、アンガールズ田中。
37分53秒 幼い「しゅじょう」や、、、
主上:天皇を敬っていう語。
38分23秒 時子「はぁー」、、、
「頼朝の首を墓前に供えよ」という嘘が、これ程までに一人歩きするなんて、、、

■ 後枠
義経紀行〜京都・八幡市〜

石清水八幡宮への行き方

京阪「八幡市」より
ケーブルカー「男山山上」下車
または徒歩で約20分


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