第29回 「母の遺言」(7月24日放送)

■ あらすじ箇条書き
義経は、鎌倉に戻った範頼の後を受けて頼朝の代官として都での諸事を任され、訴訟の裁定や平家方の内通者の取り締まりなどに追われる。
一方、鎌倉の頼朝は、義経の処遇を決めかねていた。一の谷での義経の戦功を十分に認めている頼朝も、後白河法皇や朝廷がこと更に義経のみを持ち上げようとすることが気にかかり、その真意を量りかねていた。
そんな折、頼朝から届いた書状に目を通した法皇は、『頼朝・義経の兄弟の仲が磐石ではない』と察し、そのことを利用して源氏方のかく乱を画策する。
ある日、義経は吉次から母・常盤が病に臥せっていると知らされる。常盤の身を案じつつも、かつて常盤と交わした「二度と屋敷を訪ねない」との約束を破ることをためらうあまり、義経は常盤のもとに駆け付けることができずにいた。
そのころ平家方では、「屋島から出奔した維盛が入水して自ら命を絶った」との悲報が伝えられる。
都を落ち、戦に負け続け、次々と一門の者を失うことになった原因はかつて自分がついたある“うそ”が原因なのではないか ― そのことを気に病んだ時子は、明子に、『源氏を、頼朝を討て』という清盛の遺言が偽りだった、と打ち明ける。
院の御所に呼び出された義経は、法皇の前で検非違使左衛門少尉(けびいしさえもんのしょうじょう)に任命される。頼朝の承認を得ていないことに戸惑いを覚える義経だったが、丹後局や平知康らの説得に折れて官位を得る。
義経任官の一件は鎌倉にも届き、激怒した頼朝は義経を新たな平家追討の軍から外し、さらには御家人の娘・萌を妻として迎えるように命じる。頼朝の真意が分からず、ただ困惑する義経だったが、忠誠の意を示そうと形ばかりの妻をめとる。
そんなある夜、病の身を押して義経の屋敷を訪ねた常盤は、「身の処し方を誤らぬよう、物事の表裏を見極めよ」と諭す。それは、運命に翻ろうされ続けて来た母子の最後の語らいであった。

■ 前枠
43秒〜3分30秒 テーマ曲

■ 本編
4分36秒 法皇様自ら「おおじ」にて
おおじ:大路
5分29秒 「あずまえびす」が、、、
東夷:京都からみて、東国の人、特に無骨で粗野な東国武士をあざけっていった語。
10分12秒 維盛は何故、入水したのか?
富士川の戦い、倶利伽羅峠の戦いで大敗を喫したことで、次第に一門から孤立していきました。一ノ谷の戦いにも参加せず、屋島においても一門と距離をとり、ついに離脱。高野山で出家した後、那智の沖で入水しました。
10分44秒 南無阿弥陀仏、、、
浄土宗で、阿弥陀仏の救済を願って唱える語。
11分16秒 「さいほうじょうど」、、、
阿弥陀如来を教主とする西方の浄土。人間界から西方に十万億の仏土を隔てた所にあるという。いわゆる極楽浄土。
13分07秒 どのような御存念か、、、
=どのようなお考えか、、、
21分03秒 いや、九郎殿の、、、
蛭子さん、するどい!
27分30秒 河越太郎重頼、、、
武蔵国河越(埼玉県川越市)の豪族。
頼朝の乳母である比企尼の娘は、河越重頼の妻。
その関係で、比企尼の孫娘にあたる萌を義経の妻にしようとしました。
28分34秒 法皇様の御家来なのか、、、問うておられます。
義経の親代わりと考えいた頼朝が、義経の親身に案じ、義経を身近につなぎ止めておきたいと考えたという説もあります。
37分44秒 法皇様の「ごらいりん」
御来臨:他人を敬って、その人がある場所へ来てくれることを意味する言葉
38分45秒 一足、遅うござった、、、
このドラマでは、ここで息を引き取るシナリオですが、義経が頼朝から追われる身になって以降、消息を絶ったという説もあります。

頼朝の命で捕らえられた常盤は、鎌倉に護送され義経の行方を訊問されましたが不問とみなされ釈放。その後いったん都に戻りましたが、義経が奥州に落ち延びたことを知ると、わが子の後を追ったといわれています。しかし、それ以降の消息に関しては、未だ不明な点が多く謎とされています。

■ 後枠
義経紀行〜京都 北区 紫竹〜

牛若丸誕生井碑、胞衣塚への行き方

京都市バス
「紫野上野町」「牛若」「常徳寺」下車

ホーム