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義経が建礼門院徳子を見舞ったことは後白河法皇ら朝廷側には好意的に受け止められるが、梶原景時ら武士たちからは「敵方に好意的すぎる」と批判を招く。 |
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義経は鎌倉の頼朝に宛てて、『自分には不審を抱かれるようなことはなく、頼朝に対して二心はない』との思いを綴った起請文を送る。書状を受け取った頼朝は返書を送らず、以後の義経の動向を見守ることにする。 |
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義経は、屋敷を訪れたお徳から、武士たちの間の“あるうわさ”を耳にする。それは、義経と頼朝の間に不和がある、というもので、お徳の来訪は義経を案じてのことだった。さらに、景時が頼朝へ送った書状の内容を知らされた義経は、直接、頼朝に会って疑念を晴らしたいと強く思い始める。 |
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ある日、しばらく音沙汰のなかった源行家が、義経のもとを訪ねる。義経の武功を讃えた行家は、頼朝の義経に対する仕打ちを激しく非難し、「法皇や朝廷に重んじられている義経への嫉妬ゆえのこと」と決め付ける。 |
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そして行家は、「法皇の威光を後ろ盾にして、頼朝を倒そう」と、義経に持ちかける。義経は、「源氏同士の争いは二度としたくはない」ときっぱりと言い渡す。 |
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一方、鎌倉では、夫の義高が斬首になって以来、口をきこうともしない娘・大姫の気鬱の病に、政子が胸を痛めていた。 |
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大姫を義高の供養塔へと連れ出した政子は、そこで千鳥らと出会う。政子から理由を問われた千鳥は、義経に頼まれて義高の月命日に花を供えていたと話す。 |
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義経に会いたい ― つぶやくような大姫の言葉を耳にした政子は、何とか義経を鎌倉に呼び寄せられぬかと考える。 |
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そんななか、『平宗盛親子を鎌倉に送り届けるように』との知らせを受けた後白河法皇は、誰に護送役を任せればよいのかを義経に相談する。 |
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『頼朝と面会して疑念を晴らす絶好の機会』と考えた義経は、自ら護送役に志願する。 |
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以前に出された『鎌倉に無断で官位を得た者は墨俣川より東に越えてはならぬ』という頼朝の下知には自分の名は記されていなかった
― そのことを拠り所に弁慶ら郎党を伴い都を発った義経だが、それは苦難に満ちた旅の始まりであった。 |