第47回 「安宅の関」(11月27日放送)

■ あらすじ箇条書き
鎌倉では、依然行方のつかめない義経たちの動向にいら立ちを募らせていた。
頼朝の中に、弟に対する情を感じた政子は、「義経を断じて生かしておいてはならぬ」と強く頼朝に迫る。
その頃、奥州平泉を目指す義経主従は、追手をかわしながら加賀国に到着していた。
三郎の働きで木こりの家に泊まった義経は、そこで思いがけない人物と再会する。
それは、かつて木曽義仲の恋人だった巴。
以前の名前を捨て、木こりの妻となり母ともなった巴は、「生きていて良かった」と義経に感謝し、その言葉を聞いた義経も報われた思いを感じる。
一行の事情を察した巴は、決して諦めてはならないと義経を励ます。巴とその家族と触れ合った郎党たちも、おのおの理想の家族を思い描き『新しき国』への希望を胸に抱く。
義経主従の行く手には、安宅の関という難関が待ち構えていた。鎌倉の意向はこの地まで届いており、主従は役人の厳しい詮議を受ける。
まさに関を通ろうとしたその時、義経たちは、現れた関守の富樫泰家(石橋蓮司)に呼び止められる。
弁慶は東大寺大仏殿再建の勧進をしながら羽黒山に向かう山伏一行だと偽り、その場を切り抜けようとする。
しかし、先を急ぐ一行を不審に思った富樫は、ならば勧進帳を見せろと弁慶に迫る。
弁慶は、別の巻物を、さも勧進帳の内容が書かれているかのように読み上げる。
ようやく関を抜けようとしたその時、富樫は、義経の懐にしまってあった静の笛に気づく。
富樫は、山伏が笛を持っていることを不審に思い、義経ではないかと刀に手をかける。
弁慶は機転をきかせ、また盗みをはたらいたのかと義経を打ちのめす。
義経本人であるわかっていた富樫であったが、主を打ちのめす弁慶、耐える義経の姿を不憫に思い、関の通過を認めた。

■ 前枠
0分50秒〜3分37秒 テーマ曲

■ 本編
5分03秒 法皇様の「ひご」の下に、、、
庇護:弱い立場のものをかばって守ること。
8分44秒 「ぼんもうきょう」、、、
梵網経:
五世紀ごろ中国で成立とみられており、最澄がこれに基づいて比叡山に大乗戒壇を建てました。
24分36秒 摂津坊・・・・・・・・・・和泉坊にございます
「山城」「摂津坊」「和泉坊」とリズムよくサクッと終わらせれば怪しくなかったのに、
何で妙な間をつくってしまったのでしょうか?
26分45秒 ところで「勧進」ってどういう意味?
寺社・仏像などの造立・修復のために寄付を集めること。
で、勧進帳とは、この趣意を書いて、寄付を集めるのに使う帳面。
27分07秒 諸国を「へ」巡るにあたり、、、
経巡る:あちこちをまわって歩くという意味です。
30分59秒 勧進帳
つらつらおもんみれば
大恩教主の秋の月は 涅槃の雲に隠れ
生死長夜の永き夢 驚かすべき人もなし

ここに中頃の帝おわします 御名を聖武皇帝と申し奉る
最愛の夫人に別れ 追慕やみ難く
涕泣眼に荒く 涙玉を貫く
思いを先路に翻し 上求菩提の為
廬舎那仏陀 建立したもう

しかるに去んじ治承の頃 焼亡しおわんぬ
かかる霊場の絶えなん事を嘆き
俊乗坊重源 勅命被って 無常の観門に涙を落とし
上下の真俗を勧めて かの霊場を再建せんと諸国に勧進す

一紙半銭奉財の輩は 現世にては無比の楽を誇り
当来にては数千蓮華の上に座せん

帰命稽首 敬って白す

■ 後枠
義経紀行〜石川 小松市/富山 高岡市〜

安宅の関への行き方
北陸自動車道「小松」I.Cより車で5分

如意の渡への行き方
JR「伏木」下車

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