| 西暦 |
月日 |
主な出来事 |
| 1853 |
6月3日 |
浦賀にペリー率いる米国艦隊(黒船)が来航。
(この後十二代将軍徳川家慶はショック死する)
これ以前の日本は・・・
もともと攘夷の心は持っていたが、
長期に渡る鎖国政策により、忘れかけていた。 |
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| 1854 |
3月3日 |
幕府は朝廷に開国のお伺いを立てるも勅許(天皇の許可)は出ず、黒船の大砲に怯えるまま日米和親条約に調印。
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| 1858 |
6月19日 |
幕府、勅許なしに日米修好通商条約に調印。
この頃の日本は・・・
幕府・・・開国策
| 外国の驚異を知った幕府はやむを得ず開国策へ。一応、尊王思想もあったが、天皇にお伺いを立てる程度までとし、開国を優先。 |
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VS
尊王攘夷派反幕府
| 外国の驚異を知らない(幕府も権威を保つため驚異に屈し開国したなどとは知らせなかった)者たちは、
幕府の弱腰政策に対して不満爆発。まだ倒幕という意識は薄い。 |
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| 9月7日 |
安政の大獄始まる。 |
| 1860 |
3月3日 |
大老・井伊直弼が暗殺される(桜田門外の変)。 |
| 11月1日 |
皇妹・和宮、将軍家茂への降嫁を発表(公武合体論)。幕府は交換条件として攘夷決行を約束。
この頃の日本は・・・
幕府・・・公武合体策
| 攘夷実行を交換条件とし天皇を味方につける。ただし現実的に攘夷実行はできないので、表向きには攘夷策、裏では開国策とした。 |
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VS
尊王攘夷派倒幕派
| 安政の大獄、公武合体から「こんな幕府に日本をまかせておけない」、桜田門外の変の失態から「倒せるかもしてない」という思想が重なり、一気に倒幕思想にかたむく。 |
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| 1862 |
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吹き荒れる天誅の嵐。 |
| 1月15日 |
老中・安藤信正、浪士に襲われる(坂下門外の変)。 |
| 1863 |
5月10日 |
長州藩が攘夷を決行し、下関で外国船を砲撃。 |
| 7月2日 |
薩英戦争。 |
| 8月18日 |
公武合体派が宮中クーデターを決行し、尊皇急進派七卿と長州勢力が御所から締め出される。
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| 1864 |
6月5日 |
新撰組が池田屋で密会している尊攘派浪士を捜しあて、斬り込む(池田屋事件) |
| 7月19日 |
長州藩と幕府側が京都御所の蛤御門で戦闘(禁門の変)。 |
| 8月2日 |
幕府、第一次征長の役の名を下す。 |
| 8月5日 |
英・米・仏・蘭4国連合艦隊、下関海峡で長州藩と交戦(馬関戦争)。
この頃の日本は・・・
幕府・・・公武合体策
| 幕府は、薩摩藩、会津藩、新撰組など活躍により旧来の力を盛り返したように見えた。しかし、これまで佐幕派として最も貢献してきた薩摩藩に対し、幕府を乗っ取るつもりではないかという謀反の疑いをかけてしまう。そのような気などないのに疑いをかけられた薩摩藩は幕府に見切りをつけ、倒幕へと移行していく。 |
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VS
尊王開国倒幕派
| 外国との戦いに敗れた薩摩藩や長州藩は「現在の武力で外国を打ち払うことは不可能」と痛感し開国策へ転換。彼らにとっての開国策とは、外国人暗殺などの小さな攘夷運動を捨て、外国から諸技術を学び、幕府ではない天皇を中心とした強固な日本国家を形成した上で、決定的な攘夷を行うことを最終目標とするための仮の手段のことをいいます。 |
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| 1866 |
1月22日 |
薩長同盟が成立する。 |
| 1867 |
11月15日 |
坂本龍馬・中岡慎太郎が近江屋の二階で、幕府見廻組に襲撃され、のちに死亡。 |
| 12月9日 |
王政復古の大号令により将軍職が廃止になる。 |
| 1868 |
1月3日 |
上鳥羽の小枝橋で薩摩兵が発砲、鳥羽伏見の戦いが起こる(戊辰戦争)。
これ以降の日本は・・・
↓
戦線離脱し新政府軍に恭順する
VS
新政府軍(官軍)
| 近代兵器を手に入れた新政府軍は圧倒的な武力の差を見せつけ、抵抗する旧幕府軍を破っていく。 |
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| 1869 |
5月18日 |
榎本武揚ら降伏。戊辰戦争終わる。 |