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| 当サイトは、 『NHK大河ドラマ新選組を見て完全にはまっている』という方で、さらに詳しく新撰組を知りたいという方にお薦めです。 新撰組をより詳しく理解するポイントは下記の3点です。 1.幕末史全体の流れを理解する。 2.尊王派、攘夷派、開国派、倒幕派、佐幕派といった政策・思想を理解する。 3.新撰組が上記1及び2のどの部分にあてはまるかを理解する。 以下、新撰組年表をもとに、気になる疑問点などを解説していきます。 ※池田屋事件、近藤勇、土方歳三、沖田総司などの名前しか知らない方は「新撰組通史」を先にご覧下さい。 ※新撰組の名前しか知らない方は「新撰組講座」を先にご覧下さい。 |
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| 西暦 | 年号 | 月日 | 主な出来事 | お助け資料 | |||||||
| 1834 | 天保5年 | 5月1日 | 近藤勇、武州多摩郡上石原村(調布市野水1-6-8)に生まれる。 | ☆「幕末志士 生没年表」 ☆大河ドラマの配役チェック 近藤勇(香取慎吾) 土方歳三(山本耕史) 沖田総司(藤原竜也) ☆大河ドラマの放送内容対応表 |
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| 1835 | 天保6年 | 5月5日 | 土方歳三、武州多摩郡石田村(日野市石田60)に生まれる。 | ||||||||
| 1842 | 天保13年 | 沖田総司、江戸麻布の阿部藩下屋敷に生まれる。 | |||||||||
| 1848 | 弘化5年 嘉永元年 |
11月11日 | 近藤勇、天然理心流近藤周助の門に入る。 | ☆天然理心流・試衛館とは | |||||||
| 1849 | 嘉永2年 | 10月19日 | 近藤勇、近藤周助の養子となる。 | ☆大河ドラマの配役チェック 近藤周助(田中邦衛) |
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| 1852 | 嘉永5年 | 沖田総司、天然理心流・試衛館に入門する。 | ☆試衛館の剣客たち ☆名門・江戸三大道場 |
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| 1853 | 嘉永6年 | 6月3日 | 浦賀にペリー率いる米国艦隊(黒船)が来航。 (この後十二代将軍徳川家慶はショック死する)
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☆ペリー来航の目的は? ☆なぜ日本に開国を迫ったのか? お父さんにクロフネについて聞くときの注意事項 |
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| 6月9日 | ペリー久里浜に上陸、フィルモア大統領の親書を渡す。 ペリーは即座の返答は求めず「明春、また来る」といて去っていった。 |
☆フィルモア大統領って何代目? ☆親書の内容とペリー流交渉術 |
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| 7月1日 | 老中・阿部正弘、米国親書の返書に関して、大名、旗本らに意見を求める。 |
☆幕末の大老・老中一覧 ☆大老と老中の違い ☆老中・阿部正弘の対外政策 |
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| 1854 | 嘉永7年 安政元年 |
1月16日 | ペリーの率いる米艦隊七隻再来航。 | ☆春から正月に早まった真相 ☆老中・阿部正弘VS抵抗勢力 |
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| 3月3日 | 幕府は朝廷に開国のお伺いを立てるも勅許(天皇の許可)は出ず、黒船の大砲に怯えるまま日米和親条約に調印。 |
☆条約調印で幕府は衰亡の途へ | |||||||||
| 1855 | 安政2年 | 10月2日 | 安政の大地震。 | ☆マグニチュードは? | |||||||
| 10月9日 | 幕府、佐倉藩主・堀田正睦を老中首座に任命。 | ☆幕末の大老・老中一覧 | |||||||||
| 1856 | 安政3年 | 7月21日 | 米駐日領事ハリスが下田に来航。 | ☆ハリス流交渉術 | |||||||
| 1858 | 安政5年 | 2月9日 | 老中・堀田正睦、全権井上清直らが通商条約の勅許を得るため参内するが、勅許得られず。 | ☆老中・堀田正睦のワイロショー | |||||||
| 4月23日 | 彦根藩主・井伊直弼、大老に就任。 | ☆幕末の大老・老中一覧 ☆井伊直弼は尊王攘夷派だった |
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| 6月19日 | 幕府、勅許なしに日米修好通商条約に調印。
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☆日米修好通商条約と安政の五ヶ国条約 | |||||||||
| 7月6日 | 十三代将軍・徳川家定没 三十五歳。 | ☆徳川歴代将軍の暗記法 | |||||||||
| 9月7日 | 安政の大獄始まる。 | ☆安政の大獄とは | |||||||||
| 10月25日 | 徳川家茂十四代将軍となる。 | ☆徳川歴代将軍の暗記法 | |||||||||
| 1859 | 安政6年 | 3月9日 | 土方歳三、天然理心流・試衛館に入門する。 | ☆土方歳三、ようやく入門 | |||||||
| 8月27日 | 幕府、徳川斉昭に国許永蟄居、一橋慶喜らに隠居・謹慎を命ずる。 | ☆安政の大獄の主な処罰者 | |||||||||
| 1860 | 安政7年 万延元年 |
1月13日 | 幕府の軍艦咸臨丸、米国に向かう。 | ☆咸臨丸のスペック | |||||||
| 3月3日 | 大老・井伊直弼が暗殺される(桜田門外の変)。 | ☆なぜ3月3日だったのか? | |||||||||
| 9月30日 | 近藤周助・近藤勇、武蔵国府中六所宮へ天然理心流の大扁額を奉納。 | ☆大扁額の大きさは? | |||||||||
| 11月1日 | 皇妹・和宮、将軍家茂への降嫁を発表(公武合体論)。幕府は交換条件として攘夷決行を約束。
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☆公武合体とは? | |||||||||
| 1861 | 万永2年 文久元年 |
8月27日 | 近藤勇、武蔵国府中六所宮で天然理心流四代目襲名披露の野試合を行う。 | ☆やっと近藤勇という名前になりました | |||||||
| 1862 | 文久2年 | 吹き荒れる天誅の嵐。 | ☆天誅とは ☆天誅を望まなかった孝明天皇 |
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| 1月15日 | 老中・安藤信正、浪士に襲われる(坂下門外の変)。 | ☆弾圧嫌いの安藤信正であったが | |||||||||
| 4月23日 | 薩摩藩の尊王攘夷派と島津久光の命をうけた鎮撫隊が斬り合う(寺田屋事件)。 | ☆きっかけは勘違い・薩摩藩の同士討ち | |||||||||
| 7月6日 | 一橋慶喜、将軍後見職になる。 | ☆島津久光のおかげです | |||||||||
| 7月27日 | 京都守護職を設置。 | ☆京都守護職とは | |||||||||
| 8月21日 | 島津久光の行列を乱した英国人を薩摩藩士が斬り捨てる(生麦事件) | ☆運が悪かったリチャードソン | |||||||||
| 閏8月1日 | 会津藩主・松平容保が京都守護職に任命される。 | ☆大河ドラマの配役チェック 松平容保(筒井道隆) |
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| 1863 | 文久3年 | 2月8日 | 清河八郎、芹沢鴨、近藤勇ら江戸で募集された浪士組一行が江戸を出発(壬生浪士組)。 | ☆思惑ばらばら「浪士組」 ☆大河ドラマの配役チェック 清河八郎(白井晃) 芹沢鴨(佐藤浩市) |
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| 2月22日 | 尊王攘夷派が足利氏三代の木像を京都三条河原に晒す。 | ☆事件の真相5W1H | |||||||||
| 2月23日 | 浪士組一行、京都三条大橋に着き、壬生村に入る。 | ☆新幹線のぞみを使うと? | |||||||||
| 2月24日 | 清河八郎、尊皇宣言文の建白書を御所学習院に提出。 | ☆清河八郎どんでん返し作戦のプロセスとテクニック | |||||||||
| 3月4日 | 将軍・徳川家茂が二条城に入る。 | ☆図解・家茂上洛とその後 | |||||||||
| 3月11日 | 孝明天皇、下鴨・上賀茂両社に行幸し攘夷祈願。家茂も加わる。 | ☆気まずかろう家茂 | |||||||||
| 3月12日 | 芹沢鴨、近藤勇ら浪士残留組十七名は、会津藩松平肥後守御預りとなる(壬生浪士組)。 | ☆これで京都残留正式決定 | |||||||||
| 3月13日 | 幕府の命令で、清河八郎ら浪士組は江戸に帰る。 | ☆概ね作戦成功清河八郎 | |||||||||
| 3月25日 | 壬生浪士組の殿内義雄が京都四条大橋で殺害される。 |
☆香取慎吾のイメージは大切に? | |||||||||
| 3月28日 | 東帰浪士組が江戸に到着。 | ☆清河八郎、暗殺されThe End | |||||||||
| 4月13日 | 清河八郎が江戸で暗殺される。 | ||||||||||
| 4月21日 | 初めての公務、将軍警護のためだんだら羽織を着て大坂へ出動。 | ☆初公務と同士募集 ☆「だんだら羽織」と「誠」の意味 |
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| 5月10日 | 長州藩が攘夷を決行し、下関で外国船を砲撃。 | ☆久坂と桂、長州二種類の思想 ☆大河ドラマの配役チェック 久坂玄瑞(池内博之) 桂小五郎(石黒賢) |
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| 6月3日 | 壬生浪士、大坂力士と乱闘になる。 | ☆斎藤一、痛恨の腹痛 | |||||||||
| 7月2日 | 薩英戦争。 | ☆列強との戦争で得た教訓とは? | |||||||||
| 8月11日 | 佐伯又三郎、暗殺。 | ☆犯人の謎 | |||||||||
| 8月13日 | 芹沢一派による大和屋焼き討ち事件。 | ☆お梅もからんだこの事件 ☆大河ドラマの配役チェック お梅(鈴木京香) |
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| 8月17日 | 中山忠光、吉村寅太郎ら天誅組が大和五条の代官所を襲う(天誅組の変)。 | ☆八月十八日の政変とは ☆新撰組出動表 |
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| 8月18日 | 公武合体派が宮中クーデターを決行し、尊皇急進派七卿と長州勢力が御所から締め出される。 |
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| 9月13日 | 新見錦切腹。 | ☆非情の隊規、局中法度制定 ☆五郎ちゃんの台頭 |
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| 9月18日 | 芹沢鴨・平山五郎、粛清の名のもとに斬殺される。平間重助は逃走。 | ☆土方歳三の大作戦(準備) ☆土方歳三の大作戦(決行) |
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| 9月25日 | 新撰組の隊名を下される。 | ☆昔の名前で出ています | |||||||||
| 9月26日 | 長州の間者、御倉伊勢武・荒木田左馬之助・楠小十郎が永倉新八らに殺害される。 | ☆土方歳三の大作戦(仕上げ) | |||||||||
| 12月28日 | 野口健司が切腹し、芹沢グループ一掃作戦完結。 | ☆永倉新八繋がりだった野口健司 | |||||||||
| 1864 | 文久4年 元治元年 |
3月27日 | 武田耕雲斎ら挙兵する(天狗党の変)。 | ☆純粋な尊王攘夷集団 | |||||||
| 4月26日 | 京都見廻組が結成される。 | ☆うーん、役所的 ☆大河ドラマの配役チェック 佐々木只三郎(伊原剛士) |
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| 5月 | 近藤勇、谷周平を養子にする。 | ☆誰の子供? | |||||||||
| 6月5日 | 新撰組が池田屋で密会している尊攘派浪士を捜しあて、斬り込む(池田屋事件) | ☆図解・池田屋事件 | |||||||||
| 6月10日 | 新撰組隊士・武田観柳斎ら15名が東山の明保野亭に出動。 | ☆武士道が事件を解決 ☆大河ドラマの配役チェック 武田観柳斎(八嶋智人) |
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| 7月11日 | 佐久間象山が肥後藩士・河上彦斎らに暗殺される。 | ☆新旧インテリ比較 ☆大河ドラマの配役チェック 佐久間象山(石坂浩二) |
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| 7月19日 | 長州藩と幕府側が京都御所の蛤御門で戦闘(禁門の変)。新撰組も出動し、活躍。 | ☆後手にまわった新撰組 | |||||||||
| 7月21日 | 新撰組は会津藩と天王山を攻め、真木和泉らが自刀する。 | ☆真木和泉の最期 | |||||||||
| 8月2日 | 幕府、第一次征長の役の名を下す。 | ☆西郷どん登場 | |||||||||
| 8月5日 | 英・米・仏・蘭4国連合艦隊、下関海峡で長州藩と交戦(馬関戦争)。
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☆厳冬期、長州藩 | |||||||||
| 9月12日 | 佐久間象山の子・佐久間恪二郎が新選組に入隊する。 | ☆あの人と繋がりが! | |||||||||
| 9月30日 | 近藤勇、隊士募集のために日野に帰郷。 | ☆もう一つの目的とは? | |||||||||
| 10月15日 | 新撰組に新加入の伊東甲子太郎一派が江戸を出発。 | ☆藤堂平助が勧誘 ☆大河ドラマの配役チェック 藤堂平助(中村勘太郎) 伊東甲子太郎(谷原章介) ☆薄れる近藤の攘夷思想 |
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| 12月17日 | 水戸天狗党、加賀藩に降伏する。 | ☆過激尊王攘夷派の終焉 | |||||||||
| 1865 | 元治2年 慶応元年 |
2月23日 | 山南敬助、新撰組を脱走するが捕らえられ切腹。介錯は沖田総司。 | ☆脱走した理由とは ☆大河ドラマの配役チェック 山南敬助(堺雅人) |
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| 3月10日 | 新撰組は壬生の屯所が手狭にまり西本願寺に移る。 | ☆なぜ西本願寺なのか | |||||||||
| 11月4日 | 長州訊問使・永井尚志につき近藤勇ら広島に向かう。 | ☆その目的とは? | |||||||||
| 1866 | 慶応2年 | 1月8日 | 近藤勇、再度広島へ向けて出立。 | ☆伊東甲子太郎、独自行動開始 | |||||||
| 1月22日 | 薩長同盟が成立する。 | ☆「シナリオ式解説・薩長同盟」 | |||||||||
| 2月12日 | 隊費を紛失した勘定方・河合耆三郎斬首(切腹とも) | ☆米問屋の長男、河合の最期 | |||||||||
| 6月7日 | 第二次征長の役。 | ☆復活長州藩 | |||||||||
| 7月20日 | 将軍家茂、大坂城内で病死 二十一歳。 | ||||||||||
| 8月21日 | 第二次征長の役、中止の沙汰書が出る。 | ☆ところで制札って? | |||||||||
| 9月12日 | 新撰組が京都三条大橋の制札に危害を加える浪士を斬り伏せる。 | ||||||||||
| 12月5日 | 徳川慶喜十五代将軍となる。 | ☆暗殺か? | |||||||||
| 12月25日 | 孝明天皇崩御 三十六歳。 | ||||||||||
| 1867 | 慶応3年 | 2月2日 | 伊東甲子太郎、太宰府で中岡慎太郎、水野渓雲斎、真木外記、土方久元らと会談。 | ☆伊藤甲子太郎の離隊作戦 ☆藤堂平助の離隊理由 ☆斉藤一の動向 |
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| 3月20日 | 伊東甲子太郎、禁裏御陵衛士を拝命し、新撰組から離局する(高台寺党)。 | ||||||||||
| 5月24日 | 兵庫開港勅許。 | ||||||||||
| 6月8日 | 御陵衛士、高台寺の月真院に屯所を移す。 | ||||||||||
| 6月10日 | 新撰組、幕府の直参となる。 | ☆ついに念願叶う | |||||||||
| 6月14日 | 新撰組の茨木司、佐野七五三之助ら四名は脱退するが、京都守護職屋敷にて自刀。 | ☆なぜ自刀したのか | |||||||||
| 6月15日 | 新撰組は屯所を西本願寺から不動堂村へ移転する。 | ☆西本願寺は新撰組がお嫌い | |||||||||
| 6月22日 | 武田観柳斎、竹田街道にて新撰組に斬殺される。 | ☆刺客の謎 | |||||||||
| 8月14日 | 徳川慶喜の臣、原市之進が暗殺される。 | ||||||||||
| 9月20日 | 近藤勇、土佐藩重役と会談する。 | ||||||||||
| 9月23日 | 明治天皇即位。 | ||||||||||
| 10月15日 | 徳川慶喜、大政奉還勅許の沙汰を受ける。 | ☆倒幕に乗り遅れた土佐藩の一手 | |||||||||
| 11月15日 | 坂本龍馬・中岡慎太郎が近江屋の二階で、幕府見廻組に襲撃され、のちに死亡。 | ☆敵が増えすぎた龍馬 | |||||||||
| 11月18日 | 伊東甲子太郎が新撰組に暗殺され、遺体を引き取るために駆けつけた藤堂平助・服部武雄・毛内有之助も斬殺される(油小路の変)。 | ☆近藤勇暗殺計画 ☆斎藤一は女にだらしなかった? ☆伊東甲子太郎の暗殺、大河ドラマとの違いは? ☆油小路事件と藤堂平助の死 |
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| 12月7日 | 海援隊・陸援隊士が天満屋で紀州藩士・三浦休太郎と新撰組を襲撃(天満屋事件)。 | ☆三浦休太郎とは | |||||||||
| 12月9日 | 王政復古の大号令により将軍職が廃止になる。 | ☆八月十八日の政変の逆バージョン | |||||||||
| 12月18日 | 近藤勇、伏見の黒染辺で高台寺党の残党に狙撃され、右肩を負傷する。療養のため大坂へ下り、あとを土方歳三に託す。 | ☆近藤勇危機一髪 | |||||||||
| 1868 | 慶応4年 明治元年 |
1月3日 | 上鳥羽の小枝橋で薩摩兵が発砲、鳥羽伏見の戦いが起こる(戊辰戦争)。
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☆錦の御旗=官軍 | |||||||
| 1月5日 | 新撰組は会津藩と共に戦っていたが長州兵におされ、淀に後退。新選組は井上源三郎ら十四名が戦死。 | ☆あまりにも悲惨すぎる源さんの最期 | |||||||||
| 1月6日 | 土方歳三ら淀堤の千本松に布陣したが、薩摩兵に破れ敗走。 | ||||||||||
| 1月7日 | 大坂城の慶喜は松平容保・定敬を伴い開陽丸で東帰し、恭順の意を表す。 | ☆おいおい慶喜よ | |||||||||
| 1月10日 | 近藤勇・土方歳三・島田魁ら天保山沖で富士山丸に乗船。 | ||||||||||
| 2月12日 | 慶喜、上野東叡山に蟄居。 | ☆近藤勇の誤算 | |||||||||
| 3月1日 | 甲陽鎮撫隊、出陣する。 | ||||||||||
| 3月6日 | 甲陽鎮撫隊、勝沼にて新政府軍と戦闘になるが敗走。 | ||||||||||
| 3月11日 | 永倉新八・原田左之助は近藤勇と意見が合わず新撰組を離脱して、靖共隊を結成。 | ☆さよなら永倉・原田 | |||||||||
| 3月13日 | 江戸開城の交渉成る。 | ☆山岡鉄太郎の活躍 | |||||||||
| 4月1日 | 新撰組、下総流山に布陣する。 | ☆会津を目指して | |||||||||
| 4月3日 | 近藤勇、新政府軍に投降。 | ☆切腹か出頭か | |||||||||
| 4月4日 | 土方歳三、近藤勇の救出にために勝海舟と会談する。 | ☆必死の土方歳三、かわす勝海舟 | |||||||||
| 4月11日 | 江戸城が新政府軍に明け渡され、慶喜は水戸へ退去。 | ||||||||||
| 4月25日 | 近藤勇、板橋の刑場で斬首 三十五歳。 | ☆近藤勇の最期 | |||||||||
| 閏4月8日 | 京都三条河原で近藤勇の首、晒される。 | ☆近藤勇の首の行方 | |||||||||
| 5月15日 | 上野彰義隊が壊滅、参加した原田左之助は戦死する。 | ☆原田左之助の最期 | |||||||||
| 5月24日 | 徳川家、駿府に封じられ、七十万石を賜る。 | ||||||||||
| 5月30日 | 沖田総司、江戸で病死 二十七歳。 | ☆沖田総司の最期 | |||||||||
| 8月19日 | 榎本武揚、幕府の艦隊八隻を率い脱走。 | ||||||||||
| 8月21日 | 母成峠の戦いで、新撰組敗走する。 | ||||||||||
| 9月14日 | 官軍、会津若松城総攻撃。 | ||||||||||
| 9月22日 | 会津藩降伏。 | ||||||||||
| 10月26日 | 土方歳三軍、五稜郭に入場する。 | ||||||||||
| 11月5日 | 土方歳三、松前藩の攻略に成功。 | ||||||||||
| 1869 | 明治2年 | 4月24日 | 土方歳三率いる守備軍が二股を死守。 | ||||||||
| 5月11日 | 箱館にて土方歳三戦死 三十五歳。 | ☆土方歳三の最期 | |||||||||
| 5月15日 | 相馬主馬、新撰組隊長になる。 | ||||||||||
| 5月18日 | 榎本武揚ら降伏。戊辰戦争終わる。 | ||||||||||
| 1872 | 明治5年 | 元新撰組隊士・斎藤一、警視庁に就職。 | |||||||||
| 1877 | 明治10年 | 斎藤一、警視局警部補に任じられる。西南戦争に参戦、勲章を受ける。 | |||||||||
| 1900 | 明治33年 | 3月20日 | 元新撰組隊士・島田魁病死 七十三歳。 | ||||||||
| 1911 | 明治44年 | 6月13日 | 元新撰組隊士・篠原泰之助病死 八十三歳。 | ||||||||
| 1915 | 大正4年 | 1月5日 | 元新撰組隊士・永倉新八病死 七十七歳。 | ||||||||
| 9月28日 | 元新撰組隊士・斎藤一死去 七十一歳。 |