| 初代 |
近藤内蔵之助 |
創始者。残念ながら彼に関する詳しい資料は残っていません。遠江(とおとうみ・静岡)出身で、神道流の流れを継ぎ、天然理心流を完成させたといわれています。 |
| 二代目 |
近藤三助
(坂本三助) |
内蔵之助が死亡する直前に指名を受けました。腕前は師匠を凌ぐほど天才的で、さらに経営者としての手腕も発揮しました。
彼は戸吹村の自宅に道場をかまえながら広く出稽古を行い、百姓、町人など身分に関わらず入門を許したため、八王子から相州(神奈川)にかけて飛躍的に門人数が増加しました。 |
| 三代目 |
近藤周助
(島崎周助)
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三助の死後、後継者がなかなか決まらず、11年後の天保元年になって三代目を名乗ることになります。しかし、流派を完全に掌握していなかったようで、三助の門人は周助を離れそれぞれ独自に活動を始めてしまいます。
三助の基盤を継ぐことができなかった周助は、新たな地盤を開拓する必要がありました。そこで目をつけたのが、八王子の東に位置する一帯で、その中には調布や日野など近藤勇や土方歳三の故郷となる地域もありました。
やがて、周助は江戸の市ヶ谷に試衛館を開きます。そしてこの道場から新撰組で中核をなした剣士たちを輩出することになるのでした。 |
| 四代目 |
近藤勇
(島崎勝太)
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勇の父・久次郎が所用で留守にしていたある夜、勇は留守番をしていました。しばらくすると賊の侵入に気づきます。わずか16歳だった勇は冷静沈着に賊を退治します。
この武勇伝は村中に広がり、やがて出稽古に訪れた周助の耳にも入ります。57歳ながら跡取りがなかった周助は、このとき勇を養子に迎えることを決心します。
勇は技量だけではなく、誠実で温かい心をあわせもっているており、そんな人間性にひかれ、いつしか多くの人が集まるようになっていきました。 |