1.生麦事件とは
文久の改革という大きな仕事を成し遂げた島津久光一行は、意気揚々と帰国の途に着きました。
久光一行が東海道生麦村にさしかかったとき、馬に乗っていたイギリス人リチャードソンら4名と出くわしました。ちなみにリチャードソンは上海在留の商人でこの時は観光で日本に来ていました。
リチャードソンらは馬に乗ったまま行列をやり過ごそうとしましたが、島津の兵士に一人がこれをとがめました。
何語で何と言ったかわかりませんが、言葉が通じず、そうこうしているうちにリチャードソンが斬られてしまいました。他の3名は何とかその場からのがれることができました。 |
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2.怒るイギリス、無視する島津、運が悪かったリチャードソン
イギリスは当然この事件に対し怒りを表明します。
神奈川奉行も事態を重く見て、久光にかけ合いましたが、久光はまともに取り合わず「いざとなれば薩摩藩が責任をとる」と簡潔かつ無責任な返答のみを残し、翌日、行列を進めていきました。
久光のこのような態度をとった理由は簡単で、数日前、幕府に攘夷を促した手前、自ら外国に屈する訳にはいかなかったのです。
事件後、イギリスは幕府と薩摩藩に賠償金を要求しますが、薩摩藩はこれを無視し、やがて薩英戦争へ発展していきます。
それにしてもリチャードソン。
意気揚々と引き上げていた久光一行の前に偶然出くわしてしまったのもしかり、他にも日本の名所はたくさんあるのに生麦を訪れていたのもしかり、運が悪いとしかいいようがない。
ちなみにアメリカ公使やイギリス外交官の中には、日本の習慣を心得ていなかったリチャードソンに非があると述べる意見もあったそうです。 |
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