| 西暦 |
できごと |
有名なエピソード |
| 1159年 |
源義経が源義朝の九男として生まれる。 |
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| 平治の乱が起き、義朝が敗れる。 |
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| 1160年 |
義経(牛若)は、母の常盤とともに各地を平氏の追っ手から逃れて旅をした後、平清盛のもとに出頭する。 |
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| 母親の違う兄の頼朝は、捕らえられた後。伊豆(静岡県)に流される。 |
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| 1167年 |
平清盛が太政大臣になる。 |
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| 1169年 |
このころ、義経は鞍馬寺(京都)にあずけられ、遮那王と名づけられる。 |
鞍馬天狗
義経は鞍馬天狗に兵法を教わったという伝説。 |
| 1174年 |
義経が鞍馬寺を出て、平泉(岩手県)の藤原秀衡のもとへ行く。 |
中尊寺金色堂
平泉で栄えた奥州藤原氏の文化の象徴。 |
| 1180年 |
木曽義仲が信濃で、源頼朝が伊豆から平氏を討つため兵を挙げる。 |
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| 義経が、平泉から頼朝のもとにかけつけ対面する。 |
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| 1181年 |
平清盛が死ぬ。 |
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| 1183年 |
木曽義仲が京都に入り人々に乱暴をはたらく。 |
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| 1184年 |
義経は初陣で木曽義仲をやぶる。 |
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| 義経が一ノ谷で平氏をやぶる。 |
鵯越の逆落とし
鹿が下りられるのなら馬も下りられると考え急峻な岩壁を駆け下りて奇襲を成功させた。
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| 義経が頼朝の許可なく後白河法皇より判官の役職を授かり、頼朝は激怒する。 |
判官びいき
頼朝や梶原景時の仕打ちを恨み、義経(判官殿)に同情、ひいきにすることから生まれた言葉。 |
| 1185年 |
義経が屋島(香川県)で平氏をやぶる。 |
那須与一
扇を掲げた平氏方の小舟がやってきて、那須与一は見事その扇を射落とした。 |
| 義経が壇ノ浦(山口県)で平氏を滅ぼす。 |
義経の八艘飛び
あやうく討ち取られそうになった義経は、約6.6m先にある味方の船に飛び移って攻撃をかわした。 |
| 義経の行動について梶原景時が頼朝にクレームを入れる。 |
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| 頼朝は、人々に義経に従わないよう命じる。 |
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| 義経は鎌倉に向かい頼朝に弁明しようとするが、鎌倉に入ることをさえ断られる。 |
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| 叔父行家が義経に接近し頼朝への謀反を企てる。それに対し頼朝は義経追討を決意する。 |
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| 義経は京都を脱出し逃亡生活に入る。 |
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| 1187年 |
義経は、各地を逃げまわった後、北陸を経て、平泉の藤原秀衡のもとへ行く。 |
勧進帳
安宅の関所で義経ではないかと疑われ、弁慶がお前が義経に似ているから悪いんだと義経を打ちのめすことで疑いを晴らした。 |
| 藤原秀衡が死ぬ。 |
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| 1189年 |
藤原秀衡の子、泰衡が裏切りにあい、義経は衣川(平泉の近く)で自害する。 |
弁慶の立ち往生
敵の矢を無数に受け死んでもなお立ち続け義経を守ろうとした。 |
| 頼朝が藤原泰衡を討ち奥州を平定する。 |
夏草や兵どもが夢の跡
最後に火が放たれ廃墟と化した平泉に芭蕉(江戸時代)が訪れた際の一句。 |
| 1192年 |
頼朝が征夷大将軍となり鎌倉に幕府を開く。 |
いい国つくろう鎌倉幕府 |