| ■1185年(27歳) 頼朝出陣、義経京都を退去し吉野山へ |
| ポイント箇条書き |
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頼朝追討の宣旨を知った頼朝は上洛を決意し、ひとまず黄瀬川に移動する。一方、頼朝上洛を知った法皇は態度を変え弁明した。この機に頼朝は守護・地頭の設置、朝廷の政治改革など、厳しい要求を突きつけ、武家政権の足場を確保した。 |
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一方、義経は味方の武士が思うように集まらないでいた。ほぼ国を統一し大軍を要する頼朝、所領を持たない義経。武士にとって義経につくメリットはほとんどなかった。もはや京都では頼朝の大軍を迎え撃つことはできないと悟った義経は、西国で再起を図ろうとした。 |
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西国を目指すべく摂津大物浦から出航した義経一行だったが、まもなく暴風にあい離散。義経は、残った数名とともに吉野山に向かい身を隠した。 |
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その後、噂を聞いた吉野山の僧侶が探索するが義経の所在はつかめなかった。しかし、途中で義経と別れた静御前は捕らえられ、鎌倉に送られた。 |
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没 |
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鎌倉に送られた静御前は、頼朝の命により、鶴岡八幡宮で舞うことになった。
静はここで義経を慕う歌を歌う。
これを聞き激怒した頼朝だったが妻の北条政子になだめられ機嫌を直した。 |
| 静の舞(現代語訳) |
吉野山で別れたあの方は、
雪を踏み分け山奥深くへと行ってしまった。
その足跡さえも今は恋しい。
布を織るときに、おだまきがくるくる回るように
「静、静」と呼ばれていた昔にくるりと回って戻れたら、
どんなによいことでしょう。
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| ※おだまき:つむいだ麻糸を巻いて中空の玉にしたもの |
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